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アーコール(ERCOL)

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アーコール(ERCOL)は1920年にイタリア系移民のデザイナー、ルシアン・アーコラーニ(Luciano Randolfo Ercolani)によって設立された、イギリスを代表する老舗家具メーカーです。
シンプルでどんなインテリアにも合わせやすく、丈夫で飽きの来ない家具を作り続けたアーコール社は、ルシアンから息子へ、さらに孫へと受け継がれ、100年以上経った現在もイギリスのトップ家具メーカーとして家具作りを続けています。
そんなアーコールの代名詞とも言われる椅子は、半世紀以上デザインが変わらず現行品として今も販売されているものもあり、洋風にも和風にも良く似合う普遍的デザインが日本人の感性にフィットし人気を博しています。
古い家具をインテリアに取り入れてみたいと思ったら、先ずはアーコールのチェア1脚から始めてみると間違いなしですよ!今お使いの家具とも違和感なく馴染み、まるでずっと一緒にいたかのような心地良さを感じさせてくれることでしょう。
ラフジュ工房では人気のアーコールチェアだけでなく、テーブルやカップボード、サイドボードにソファなど、アイテム数豊富に取り揃えております。
大振りなものが多い海外ヴィンテージ家具の中、ことアーコールに関しては日本の暮らしに合うコンパクトサイズのものが多いのも嬉しいところ。そんなサイズ感にもぜひ注目してみてくださいね!

アーコール(ERCOL)以外のヴィンテージ家具の商品一覧はこちら


とことんくわしく解説!アーコール(ERCOL)ってどんなブランド?



3色の商品タイプのマークについて

アーコール(ERCOL)

 

 

 

           

「アーコール(ERCOL)って椅子なら知ってる!」

ヴィンテージ家具を詳しく知らずとも、アーコールチェアを一度は目にしたことがあるという方も多いのではないでしょうか?
あまりに椅子が人気なので、他のアイテムは意外と知られていませんが、実は椅子以外にも完成度の高い真面目な家具を作り続けている現役のブランドなんです。
ここでは、そんな人気のチェアや他のアイテムにもスポットを当てながら、今までふんわりとしかアーコールを知らなかった方も、すでにアーコールを使っているという方も、これを読めばアーコールの全てが分かる!というくらいにまで深掘りしていきますよ!
一代でアーコールを英国家具のトップブランドにした創設者は実はイタリア人だというちょっと驚きの事実から、人気のアイテム、現行品とヴィンテージ品の違いやロゴマーク、さらには偽物の見分け方までとことんお伝えします!

先ずはアーコール(ERCOL)の歴史から

    アーコール(ERCOL)の創業者、ルシアン・アーコラーニ(Luciano Ercolani)の生い立ち
    ~ イタリアの小さな町からロンドンへ ~

    • 1888年、後にアーコールの創業者となるルシアン・アーコラーニは、イタリアのサンタンジェロ・イン・ヴァードという小さな町で長男として生まれました。
      ルシアンの父、アブドン・アーコラーニは家具職人としての訓練を受けた額縁職人であり、ウフィツィ美術館などから仕事を請け負っていたほど高度な木工技術を持っていました。
      ですがそんな父アブドンの宗教信仰上の理由から、地元で暮らすことが困難になり、ルシアンが10歳の時に、両親、兄弟とともにイタリアからロンドンに移り住みます。

    • 移住こそ無事に済んだものの、ロンドンでの生活は順風満帆ではありませんでした。
      アーコラーニ家の生活は常に困窮していましたし、言語の違いから学校に馴染めませんでした。
      学校から逃げたい気持ちと生活の為、早退してメッセンジャーボーイの仕事をしながら父が信仰していた救世主軍のブラスバンド部に所属。(そこが彼の拠り所となり、音楽は生涯の趣味となったそう。)
      卒業後は、その救世主軍の組織でドアや階段などを製作する仕事に就きます。ここでの経験が家具に興味を持つきっかけとなります。
      ルシアンが18歳の時、優れた木工技術者であった父の勧めもあり、ロンドンにあるショーディッチ工科大学の技術研究所の夜間クラスに通い始めます。昼は仕事、夜は家具の製図とデザインの勉強をし、家具デザイナーへの道を歩み始めました。

    ~ ロンドンから家具作りの町、ハイ・ウィカム(High Wycombe)へ ~

    • 1910年、ルシアンが22歳の時、大きなチャンスが訪れます。
      それは、後にイギリス三大高級家具ブランドとして名を馳せるパーカーノール(Parker Knoll)の創業者、フレデリック・パーカーから、家具の製図者とデザイナーのポストをオファーされたことです。
      これをチャンスと捉えたルシアンは、フレデリックの会社があるハイ・ウィカムに移り、夢だった家具デザイナーとして働き始めることになります。
      ハイ・ウィカムは家具作りの資源に恵まれている上、流通の便も良かったことから家具の製造、特に椅子の製造が盛んな地域でした。

    • ルシアンはフレデリック・パーカーの息子の下で、昼は製図やデザインの仕事をし、夜はハイ・ウィカム技術研究所で家具デザインの夜間クラス講師として指導に励みました。
      ルシアンの生徒の中には、後にジープラン(G-PLAN)というブランドで有名になるイー・ゴム(E.Gomme)社の経営者の息子、エドワード・ゴムもいました。(その後エドワード・ゴムとは友人になり、その関係は生涯続いたそう。)
      ゴム家に気に入られたルシアンは、ゴム家の養子となり、イー・ゴム社で働くことになります。
      生活が安定してきたことで、ルシアンは26歳の時に結婚し、家を建て、3人の子供を授かりました。

    • 暮らしこそ裕福にはなったものの、イー・ゴム社での仕事は彼の望むものではありませんでした。
      デザイナーとして採用されたはずが実際の仕事は現場マネージャーの仕事だったこと、取締役会から外されたことなどから、ゴム家との間に一時的に亀裂が生じ、ルシアンは第一次世界大戦後にイー・ゴム社を退職します。
      はじめはイー・ゴム社の工場を見るのも辛かったといいます。ですが結果、この悔しい経験がルシアンを動かすこととなります。
      1920年、ついに独立を決断!ルシアンは32歳でアーコール(ERCOL)社の前身となる会社、ファニチャー・インダストリーズをハイ・ウィカムで設立しました!

    ルシアンが独立を決意。ここからがアーコール(ERCOL)の始まりです!

    • ルシアンを知る人は皆、彼をエネルギーに溢れた人だと言います。
      最初こそ小規模で始まった彼のビジネスは、その溢れるエネルギーによって10年後には、数百人を雇用するまでに急成長しました。
      第一次世界大戦と世界恐慌のためハイ・ウィカムでは次々と家具メーカーが倒産していく中で、ルシアンは経営危機に陥った老舗メーカーを買収し、そこで働いていた熟練の職人を雇用。更に生産の機械化を進め、どこよりも高い生産力を武器に『高品質かつ実用的、それでいて手頃な価格で買える家具を作る』という信念を持って猛進していきます。

    • ルシアンの長男(ルシアン・ブレッド・アーコラーニ)が父に憧れ共に働きはじめた頃、第二次世界大戦が勃発。長男と次男は空軍に入り、戦地に赴きます。
      英国内の家具生産は政府によって規制されていましたが、アーコールは弾薬箱や軍事用テントのペグ製作の依頼を受けます。更には物資不足、職人不足でも、効率良く作れる生産ラインを構築したことで、軍用ベットや防空壕用の椅子なども大量に請け負うことができました。
      戦前から木工加工の機械化を進めてきたアーコールだからこそ、激動の時代に対応できたのです。

    • 戦争の終了間際の1942年、政府よりユーティリティーファニチャースキーム(統制家具計画)という物々しい政策が始まります。
      ユーティリティーファニチャースキームとは、貴重な資源となった木材を有効活用するための政府主導の規制で、イギリス家具の伝統だった豪華な装飾を限りなく抑え、無駄のないシンプルな家具作りしか認めないというものです。
      1952年まで続いたこの規制は他の家具メーカーを困惑させました。
      しかしルシアンは、「この制度がデザイン改革のチャンスだ!」と歓迎したのです。

    • ルシアンは戦前、ニューヨーク旅行でメトロポリタン美術館を訪れた時にとてもシンプルなシェーカーデザインの椅子に深く感銘を受けていました。
      無駄のない美しいデザインと目につかないところまで精巧なつくりのこの椅子は、ルシアンの考える家具デザインを根底から覆すものだったのです。
      あの時見た椅子の様に、シンプルを評価される時代がきたことにルシアンは熱狂します。
      『高品質かつ実用的、それでいて手頃な価格で買える家具を作る』というルシアンの信念に、ピタリとはまる時代がきたのです。

    「ウィンザーチェアといえばアーコール(ERCOL)」と言われるようになったのはここから

    • 1944年終戦目前。アーコールは政府貿易委員会から食堂で使用するための椅子として、ウィンザーチェア10万脚を委託されます。
      10万脚というだけでも途方もない数なのに、短納期、さらに安価で質の良い椅子という無理難題を突きつけられたのです。
      このミッションをクリアする唯一の方法は、製造プロセスを工業化すること。ルシアンはこの挑戦は今後のアーコールに有益だと判断し、この依頼を引き受けます。
      選ばれた木材はニレ材(エルム材)で、イギリス国内に豊富にあるものの、乾燥させにくく歪んでいるため家具の使用は不可能と考えられていました。

    • アーコールはこの厄介者と言うべきニレ材を有効活用し、同業者を驚かせました。
      従来の加工では扱い難いニレ材が、曲木加工には最適な材料であるとルシアンは気が付いたのです。
      材料を窯で蒸し、型でプレスして曲げるという曲木の技術を使い、ニレ材の曲木を背もたれに使うというウィンザーチェアのデザインを設計。
      蒸すための大型の窯と多くのプレス機を導入し、製造ラインを整えて、曲木のウィンザーチェアの大量生産に成功したのです!

    • 戦後の復興と共に家具の需要は一気に高まります。
      ユーティリティーファニチャースキームの流れもあり、イギリス国内ではシンプルで実用的な北欧デザインが流行し始めました。
      アーコールにはシンプルを追及したデザインがあり、安く大量に作れる設備、そしてそれを扱える技術者もいる。アーコール家具が市場を席巻するための機は熟したのです。
      1945年、後に世界中でロングセラーなるアーコールのウィンザーチェアの原型、ercol's 4a Kitchen Chair(4a キッチンチェア)の大量生産に成功!
      ウインザーチェアがアーコールの代名詞とまで言われるようになったのは、このはこのモデルの大ヒットがきっかけでした。


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