美しい日用品。北欧の人気メーカーアラビアの紹介
アラビア(ARABIA)は、日常食器や衛生陶器を手がけ、実用性と芸術性を併せたシンプルで美しい「スカンジナビア・デザイン」による物づくりや、芸術家作品をシリーズ化した独創的な製品で、今もなお人気を博しています。
美しいもので、より幸せな世界を――。アラビアが提唱するスカンジナビア・スタイルの思想に基づいた製品は、北欧から世界へ発信され、注目と支持を集め続けています。
パラティッシュシリーズにムーミン!今も色褪せないアラビアのシリーズ各種
器の種類
アラビアの器種には、茶器・酒器・食器・壺・花瓶等のほかにも、プレート(壁飾り)・彫像・置物(オブジェ)・人形(フィギュリン)・時計・タイル、またガラス製品など、食器からオブジェ・雑貨まで様々なものがあります。
デザイン
そのデザインには、絵付なしの白磁・白陶、マイセン風の微細草花紋等入りの染付白磁、東洋的花鳥画・風景等を青一色で描いた中国青花(せいか。染付)風やその色絵版の東洋色絵磁器風、単色地やそれが線のみで入れられたもの。
また、写実的細密画が描かれるロココ式、古代ギリシャ風の連続紋等が用いられた新古典主義式、日本画等を採り入れたジャポニズム式、抽象的草花紋のアールヌーボー式、シンプルかつ洗練された美しさを持つアールデコ式、白地に果実や草花を大らかに描いた、北欧らしい色絵等が多くあります。
北欧の人気作品「ムーミン」が描かれたマグカップ
代表作
パラティッシ(Paratiisi)の大皿
代表作は、重ねて収納できるエクホルムの機能食器「シルバヴァルコ」、果実や草花を大らかかつ鮮やかに描いたカイピアイネンの「パラティッシ」、単色塗りとシンプルな器形による美を備えたカイ・フランクのディナーセット「キルタ」。
Anemone(アネモネ)シリーズ/シュガー&クリーマー
トーベヤンソン原作のキャラクターを描いた「ムーミン」のほか、「フェストン」「ノヴァ」「ヴァクリンク」「スカンディナヴィア」「フェンニア」「アピラ」「ティーマ」「アネモネ」「パラダイス」「ポタニカ」「バラディ」「ヴァレンシア」「タルヴィッキ」「アメット」「ヴァルブリ」等があります。
美しい日常を叶えるため、変革を続けたアラビア
アラビアの成り立ち
アラビアは1873年、フィンランドのヘルシンキで創業しました。スウェーデン王室の御用窯であったロールストランド社の子会社としての設立で、スウェーデンからの派遣技師とフィンランド陶工の雇用により、翌年の1874年から生産が開始されました。
当初はロシア向けの日用食器や衛生陶器が生産され、のちに銅版転写や絵付が行なわれて、正餐食器等も作られます。
1881年にグスタフ・ヘルリッツが技術監督となり、93年には社長となって、生産能力を向上させました。
また1896年には芸術家トゥーレ・ウーバリや建築家ジャック・アーレンバリらが意匠設計に参加し、生産品の種目拡大に貢献します。
1900年、アラビア製品はパリ万博で金賞を受け世界にその名を知られます。
そしてアールヌーボーの流行等に影響され、北欧らしい図柄を活かした、独自の表現を追求し始めます。
芸術家の起用でアラビア食器はさらに美しく
1916年、第一次世界大戦の影響もあり、アラビアはフィンランドの会社となり、ヘルリッツの息子のカール・ヘルリッツが社長に就任します。カールは各種の改革に着手し、工場の近代化や新工場の建設を進め、絶縁体製造等の新分野にも乗り出します。
1922年には釉薬研究所、29年には芸術家による「美しい日常」部門や輸出部門も作られ、30カ国を超える国へ輸出されなど、改革が続けられ、発展していきました。
1931年には陶芸家クルト・エクホルムが美術監督となるなど、多くの芸術家が雇用されて製品の芸術性を向上させました。
そして、37年のパリ万博やミラノトリエンナーレ等の国際舞台で、大成功を収めることとなりました。
カールは、大量生産による製品の定型化が進行する中では芸術家の自由な表現が更に必要になると考え、斬新な経営を推進して行きました。重ねて収納できる初の機能主義食器「シルバヴァルコ」もこの頃誕生します。
パラティッシ≪Paratiisi≫シリーズなど、人気シリーズが誕生
1940年代には後の装飾部門が誕生するなど、戦争の影響を受けながらも発展を遂げて行きました。
そして50年代の黄金期を迎え、カイピアイネンの「パラティッシ」やカイ・フランクの「キルタ」等、アラビアを代表する意匠が誕生しました。また、それらの製品は、多くの国際的展覧会で入賞し、その芸術評価を確固たるものとしました。
その後も多くのアーティストにより製品を展開する魅力ある物づくりを続け、「用と美」の地スカンジナビアのみならず、世界中の人々に影響を与え、愛され続けています。
大量生産品にも使う人の気持ちを考えた彩りを
アラビアでは比較的豪華なディナーサーヴィス(正餐食器)も作られましたが、当初から安価な日用品生産も意図していた為、その製造には徹底した合理主義が導入されました。
1929年には世界最長のトンネル窯を設置し、他の工夫と共に、製品の大半を一度の焼成で完成出来るようにしました。
また既存の機械での生産に留まらず、新しい機器を導入しての生産が、常に考慮されていきました。50年代には転写絵付用に独自のシルクスクリーン印刷も開発。60年代には自動成形機が導入され、70年代にはそれがライン化されます。
しかし、アーティストによって自由な発想で作られるアラビアの製品は、ものによっては絵付等の工程で手作業が必要になることもありました。
ラインでの大量生産だけでなく、デザインによっては手作業での生産を行っていったのは、ひとえに「人々の日常に美を添える」というポリシーを実現させるためでした。
また、実用性を重視し、オーブンでも使えるストーンウェア(炻器:せっき)素材が、主な製品に採用されるなど、消費者のニーズに答えるための進化を惜しみませんでした。