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ネオクラシズム様式とは

ネオクラシズム(Neoclassicism)様式とは、18世紀中頃から19世紀前期に西洋で流行した、芸術思想やその表現様式のこと。「新古典主義」とも訳され、主に建築や工芸・絵画に対して用いられました。それまで主流だった装飾過剰で貴族的なバロックやロココ様式に代わり、古代ギリシャやローマの芸術を合理的に再構築した洗練された表現が特徴的です。

ネオクラシズム様式の特徴

ネオクラシズム様式は、それまで主流だったバロック様式やロココ様式とは打って変わり、直線的で左右対称シンメトリーなデザインが特徴的です。15~17世紀前半に流行したルネサンス様式などの古典様式を再評価する風潮が興り、古代ローマやギリシャといった古代文明からヒントを得た意匠や建築様式を積極的に取り入れています。

また、ネオクラシズム様式が登場の背景には、ヨーロッパ諸国を取り巻く社会的情勢の変化も深く関係しています。新富裕層やブルジョワの台頭、工業や産業の革命的な躍進、国際的な戦争など、激動の時代を迎えていました。そんなさなかに生まれたネオクラシズム様式には、長らく主流だったロココやバロックといった貴族中心に繁栄してきた過剰な装飾文化と、そのヒエラルキーに対しての反骨精神が宿っているともいえるでしょう。

古典的モチーフ

ネオクラシズム様式には、古代ローマやギリシャの建築物からインスパイアされた意匠がたびたび用いられています。なお、好まれた意匠には、ロゼット(花形)や花輪、花籠、月桂樹、楽器、アカンサスの葉、婦人像、動物、渦巻き、貝殻、唐草、トロフィー、幾何学模様、怪獣などがあげられます。

ネオクラシズム(新古典主義)の歴史

ネオクラシズム様式のはじまりは、さかのぼること18世紀半ばのヨーロッパ諸国。14世紀にルネサンスが登場して以来、ヨーロッパ諸国ではバロックやロココといった貴族的な文化が西洋芸術の中心にありました。

ところがこの頃、ヨーロッパ諸国を取り巻く状況は非常に不安定なものになります。フランスの市民革命やイギリスの産業革命、アメリカの独立宣言といった動きが各国で勃発。各国の貴族や聖職者たちは、その絶対的かつ支配的な地位が揺らぎ始めたのでした。

そんな状況のさなか、博識な建築家や哲学者によって生まれたのがネオクラシズム(新古典主義)です。ネオクラシズムを提唱した彼らには、貴族や聖職者たちの行動に対して、秩序と理性をもって反発するという精神性も宿っていたといえます。

また、ネオクラシズムの機運をさらに高めた背景の一つに、ギリシャやローマなどの文化や哲学を再評価する動きがありました。この頃、建築家や哲学者のあいだでは、イタリアのヘルクラネウムやポンペイなどの古代遺跡への発掘調査が盛んに行われ、西洋人の関心を集めます。古代遺跡に残された圧倒的な迫力、シンプルで合理的な性格、完成度の高さは、人々に大きな衝撃を与えただけでなく、その後に登場するネオクラシズム様式にも深く影響を与えたのでした。

贅の限りを尽くし自由奔放な貴族文化を真っ向から否定し、古くから続く伝統を改めて評価したネオクラシズム。それは、伝統を守ると同時に、これからの時代に見合った合理的な解釈を加えて再構築するという、まったく先駆的な思想だったのです。

ネオクラシズム様式の影響を受けた国々

フランス

18世紀後半、国王ルイ16世の時代になると、直線的なフォルムを特徴とする華やかで洗練された家具を生みます。これは「ルイ16世様式」とも呼ばれ、イギリスにも伝わっていきました。そしてルイ16世が亡くなった後、混乱したフランスをまとめあげたのが、軍人であるナポレオン・ボナパルト。彼は軍人として力を発揮し、「帝政(アンピール)様式」と呼ばれるスタイルに、その威厳を表現していきます。ナポレオンの登場によって、ネオクラシズム様式はより写実的で、かつ理性的なものに確立していきました。

イギリス

一方、イギリスではフランスの流れを汲み、18世紀半ばから後期にかけて「アダム様式」が現れます。建築家ロバート・アダムが提唱したスタイルで、ルイ16世様式に影響されつつ、イギリス独自に洗練されたスタイルが作られました。

アダム様式についてもっと詳しく知りたい方は、以下のページもご覧ください。

⇒RAFUJU MAG 辞典「アダム様式」のページはこちら

アメリカ

同じく18世紀後半、アメリカでは独立戦争後に「フェデラル(連邦)様式」が現れます。イギリスのジョージアン様式やアダム様式をベースに、左右対称のシンメトリーな設計と古代建築からヒントを得た洗練されたデザインが特徴的。決して派手ではないものの風格があり、アメリカの規律性を象徴する様式ともいえます。

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