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三川内焼とは

三川内焼とは、長崎県佐世保市の三川内で生産される磁器を指します。古くは伊万里の港から輸出されていたため、伊万里焼の一種として知られています。鉄道の普及により伊万里焼から細分化され、各生産地の名前で呼ばれるようになった経緯があります。平戸藩の庇護のもと良質の磁器を産出してきた御用窯もありました。

「伊万里焼」について、以下でも解説しています。こちらもぜひご覧ください。

⇒RAFUJU MAG 辞典「伊万里焼」のページはこちら

三川内焼の特徴

三川内焼は、美しい白磁に藍色の絵付けが特徴的な磁器です。藍色が印象に強い三川内焼ですが、なかには赤や黄などの色を使っているデザインのものもあります。また、様々な技術に挑戦し続けているのも三川内焼の特徴の一つ。例えば、向こう側が透けるほど磁器を薄く作った「薄づくり」や、磁器をくり抜いて作る「透かし彫り」、立体的な絵柄の「置き上げ」など他ではなかなか見られない技術を駆使した磁器を作り出しています。これらの技術は、藩によって庇護されていたこそ磨き上げられたものと言えるでしょう。

歴史

17世紀初頭の三川内では、磁器ではなく陶器を焼いていました。同じころ三川内の隣にあたる有田では磁器を生産するようになっていましたが、当時磁器は貴重なものであったため原料や技術などが厳しく保護されており、周囲に広まることはほとんどありませんでした。
そんな三川内の陶芸でしたが、1633年今村三之丞が針尾島にて網代陶石を発見したことで事態は一変します。ここから三川内焼は陶器ではなく、白い磁器の生産地へと変わっていったのです。
1662年には天草陶石と網代陶土の調合に成功。本格的な磁器の生産体制が整い、「透かし彫り」や「置き上げ」などの細工を施した磁器も作られるようになってきます。
藩によって庇護を受けながら技術を磨き続けた三川内の御用窯は、芸術品とも言える磁器を次々と生み出すようになりました。現在もその伝統や技術を引き継ぎ、国内外でファンを魅了し続けています。

伊万里焼、有田焼と三川内焼の違い

混同されやすい伊万里焼や有田焼と、三川内焼の違いとは何なのでしょうか。
船による輸出がポピュラーだった時代、三川内焼は伊万里の港から輸出されていました。これは、三川内焼だけでなく有田焼も同様の出荷のされ方で、伊万里の港から出る磁器全般を「伊万里焼」と呼んでいた経緯があります。鉄道による輸出がさかんになり各産地の名称を名乗るようになった今でもその名残はあり、ざっくりと伊万里焼と呼ぶこともあります。
有田焼と三川内焼は、先にも説明した通り隣接した町ではありますが、磁器に使っている土が異なっています。また、有田焼はカラフルな絵付けが特徴ですが、三川内焼は比較的藍色を中心としたシンプルな色合いがメインです。また、細工が細かいものも多いのが三川内焼の魅力でもあります。

「有田焼」について、以下でも解説しています。こちらもぜひご覧ください。

⇒RAFUJU MAG 辞典「有田焼」のページはこちら

三川内焼ならではの魅力を楽しむ

三川内焼は伊万里焼の一種ですが、繊細な細工やシンプルな色遣いが上品で特に目を惹く磁器を数多く生み出しています。三川内焼の美しさは近年も世界から注目を集めていると言えるでしょう。

⇒ラフジュ工房の三川内焼はこちら

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