カンカンと熱い鉄を叩き、成形していく、鍛冶屋の仕事。最高級と謳われる鋼製の刃物や鉄製のフライパンなどの多くは、今でも鍛冶職人が一つ一つ手作業で制作しています。最近では、そういった鍛冶職人のすばらしい作品をきっかけに、鍛冶屋の世界に興味をもつ人も増えているのだそう。
そこで今回は、鍛冶屋の仕事内容や求人の特徴、職人を目指す方法についてお話したいと思います。 これから鍛冶職人を目指そうとお考えの方は、ぜひ目を通してみてくださいね。
Contents
鍛冶屋とは?伝統的な鍛冶職人と鍛冶工の違い
昔ながらの鍛冶職人は、主に鉄や鋼などを鍛錬して刃物や工具、農具などを制作したり、修理を行うのが仕事です。 別名、鍛冶師とも呼ばれていますね。
鍛冶職人は、もともと刀鍛冶(刀を作る専門の鍛冶屋)や、専門鍛冶(包丁や鋏、鉈などある道具のみを作る鍛冶屋)、野鍛冶(農具・漁具・山林刃物などを幅広く作る鍛冶屋)などがいて、広く暮らしに密着して活躍していました。しかしながら昭和30年以降、農業の機械化や、大量生産による安価な刃物が出回るようになり、多くの鍛冶屋が廃業に追い込まれることに。今ではあまり見かけなくなった鍛冶屋ですが、大阪府の堺市や岐阜県の関市、新潟県の燕三条などでは、現在も仕事風景を見ることができます。
一方、鍛冶工(溶接工)は建設業界で言う鍛冶職人。建築の基礎や手すり、外部階段など、建築にまつわる多様な鉄製品を作る仕事です。
例えば建築の基礎となる鉄骨は、現場に届いた時点ではカットされていない状態です。それを鍛冶工が設計図に基づいて正確に切り出し、組み上げ、鉄骨同士や固定したボルトなどを溶接し、完成となるわけですね。
昔ながらの技。鍛冶職人の仕事
鍛冶職人の仕事は大きく分けると、包丁鍛冶職人、刀鍛冶職人、鋏(はさみ)鍛冶職人の3種があります。
包丁を作る
包丁鍛冶職人の歴史
包丁鍛冶職人が作る和包丁は、「打刃物(うちはもの)」と「抜刃物(ぬきはもの)」という2つの製法があります。 打刃物は、日本刀をルーツとして、江戸末期にその形が完成しました。鋼と鉄を高温に熱し、ハンマーなどで打って成形する方法です。
一方抜刃物は、昭和後期に確立した製法です。こちらは鋼と鉄を打って成形するのではなく、「利器材」という鉄と鋼を一体化した材料を使い、機械を使って包丁の形に打ち抜く方法。その後の研削や刃付け作業は、熟練の職人が手作業で行います。
当時は利器材の品質が悪かったため、利器材を使った包丁=粗悪品という扱いを受けていましたが、現代では質の高い利器材が作られるようになり、品質も安定しています。とは言え、切れ味や食材への吸いつき、断面の美しさなど、利器材では到底再現できない部分もあります。価格よりも品質を求める人には、利器材を使わない打刃物の包丁が好まれます。
どうやって作る?
鍛冶職人が包丁を作る工程は、全部で30以上あると言われています。 一般的には材料の切り出しにはじまり、鍛接(鉄と鋼を接着する作業)、鍛造(鍛接した材料を打ち鍛える作業)、荒仕上げ(鋳造した包丁の形を整える作業)、焼入れ・焼戻し・ならし(焼熱と急冷を繰り返してしなやかさを出す作業)、研ぎ(形を整えて刃を付ける作業)、仕上げ、柄付け、錆止めなど、数々の工程を経て完成します。ちなみに利器材を使う場合は、はじめの鍛接という作業が省かれます。
ほとんどが手作業ですが、叩く工程は機械式のハンマーと金槌を併用したり、研磨の工程ではグラインダーを使用したりします。なお、それぞれの工程は分業しているところが多いようです。
包丁鍛冶職人になるには
基本的には、師匠となる職人のもとで修業を積んで技術を学びます。 一人前になるには5〜10年ほどかかると言われていますが、学歴や経歴は関係なく、異業界から転職して鍛冶職人になったという人もいますよ。
ただ、職人の高齢化や収入面などの問題で、昨今は弟子入りを受け入れてくれるところも減っています。まずは各地の組合に問い合わせて、弟子入りを受け付けている工房がないか聞いてみると良いでしょう。
打刃物なら、代表的なのは新潟 三条市・大阪 堺市・神戸 三木市・高知 土佐市・福井 越前市。抜刃物なら、新潟 燕市・岐阜 関市が有名です。工房によっては職人に話を聞くことができたり、仕事場の見学・体験をさせてもらえる場合もありますよ。
刀を作る
刀鍛冶職人の歴史
刀鍛冶屋の歴史は古く、古墳時代以前には鉄製の刀が製造されていたと伝えられています。 現代に伝わる日本刀の製造方法は、江戸時代以降のものです。刀鍛冶屋は、江戸・明治初期まで全国に数多く存在していましたが、明治9年に出された廃刀令や、戦後の刀狩によって、大部分の職人が廃業に追い込まれました。2017年の段階で職人の数は188人にまで減少していて、後継者不足と職人の高齢化により伝統の技の継承が危ぶまれています。
どうやって作る?
刀を作るには、玉鋼(日本独自の製法で作られた鋼)の製造から、積み沸かし(欠片を積み重ねて熱し、鍛接する作業)、折り返し鍛錬・鍛接、作り込み(刀の内部構造を作る作業)、素延べ(刀の形に伸ばす作業)、火造り(火を入れつつさらに整形する作業)、荒仕上げ、土置き(焼刃土を塗り冷却スピードを調整することで部位によって硬度差をつける作業)、焼入れ(焼いてさらに硬化させる作業)、鍛冶押し(研いで形を整える作業)、中心仕立てなど20以上の工程を踏みます。その後、研師や鞘師、白銀師など9〜10人の職人の手を経て完成します。
現在、日本刀の製造には文化庁の許可が必要なうえ、「美術品として価値のあるもの」以外は作ってはいけない、年間で1人24振りまでしか作ることができない、というルールが設けられています。 そのため、日本刀の製造だけでは生計を立てられず、包丁やナイフなど他の商品も製造している場合が多いです。純粋に日本刀のみを制作している刀鍛冶屋は、全国に30人ほどと言われています。
刀鍛冶職人になるには
刀鍛冶職人になるには、学歴や職歴は関係ありません。しかし、刀匠資格を有する刀鍛冶の下で5年以上修業し、文化庁主催の「美術刀剣刀匠技術保存研修会」を修了する必要があります。 研修会は8日間にわたって開催され、技量がなければ修了できません。
さらに、その前段階でクリアしなければならない最大の難関が、入門先探し。 全日本刀匠会では、刀鍛冶を目指す人に向けて「美術刀剣作刀技術実地研修会」を実施したり、適性があれば体験入門や入門先の紹介などをしていますが、実際に入門できるのはごく一握り。刀匠資格を持つ職人たちも超高齢化が進んでおり、弟子を取ることには消極的な人が多いです。
また、晴れて入門できたとしても修行中の給料はゼロのため、少なくとも5年以上は収入なしで暮らしていけるだけの蓄えをしておく必要があります。 家賃や食費などの生活費に加えて、入門先によっては材料費や施設使用料等が月3万円ほどかかる場合も。刀鍛冶職人の道はかなり厳しいと言わざるを得ません。
鋏を作る
鋏鍛冶職人の歴史
鋏鍛冶屋は、江戸時代まではそれほど多くありませんでしたが、鋏が普及し始めた江戸末期から明治にかけて、徐々にその数を増やしていったとされています。 明治時代に衣服が洋装になり、鍛冶屋が裁ち鋏を作るようになったことがきっかけなのだそう。明治9年に廃刀令が出されたことにより、多くの刀鍛冶屋が鋏鍛冶屋に転身したとも言われています。しかし昭和30年ごろになると、包丁の場合と同様に機械化による大量生産が進み、鋏鍛冶屋は減少していきました。伝統の技を受け継ぐ鋏鍛冶職人は、現在全国に数人ほどしかいないとされています。
どうやって作る?
伝統的な鋏鍛冶屋では、刃から柄まで全て叩き出しで作る「総火造り」という製造方法がとられています。製造工程としては、まず鉄を温めて柔らかくし、持ち手部分から叩いて成形していきます。そして刃の部分は、包丁と同じく鋼を鍛接し、叩いて形を整えます。その後、刃付けと研ぎの作業を行い、焼入れ・急冷によって硬度を高めます。刃を研磨して仕上げ、2つのパーツを目釘で組み合わせ、調整して完成です。総火造りの鍛冶屋では、1人の職人が全工程を手掛けるのが基本。 日ごとに少しずつ工程を進めるのが一般的です。
鋏鍛冶職人になるには
包丁鍛冶屋と同様に、師匠となる職人のもとで修業して技術を身につける必要があります。学歴や職歴は関係ないものの、全ての工程を一人で行えるようになるまでに、10〜15年はかかるとされています。
しかしながら、鋏鍛冶職人も超高齢化により弟子を取る工房が少なく、求人情報はほぼないのが現状です。日本で有名な鋏の産地と言うと、兵庫の播州刃物、高知の土佐刃物、鹿児島の種子鋏など。弟子入りを希望する場合は、工房か組合へ直接問い合わせしてみましょう。
工事現場で活躍。鍛冶工の仕事
建設現場のあらゆる鉄製品に関わる鍛冶工。高所作業や重い建材の運搬などを伴う危険の多い仕事ですので、気の緩みが命取りになることも。自ら安全管理できる人、体力のある人でなければ務まらないでしょう。
未経験でスタートする場合、初めは先輩職人を補助するところから始まります。鍛冶工は身につけるべき知識や技術が多いのが特徴。 玉掛け(クレーンに物を掛け外しする作業)をする際のワイヤーロープの種類や、使用する鉄板・パイプの種類、さび止めや仕上げ塗装をする際の塗装の種類など、覚えることが膨大にあります。1年目は基礎的な知識を身に付け、その後徐々にガス溶接やアーク溶接などの技術も学んでいいくことになります。
鍛冶工を目指すなら、クレーン・移動式クレーン運転免許、玉掛け技能講習、溶接資格(ガス溶接技能者やアーク溶接作業者など)などの資格を持っていると有利です。 資格があるほど従事できる仕事の幅が広がるので、現場で経験を積みつつ、ステップアップとして取得していくのがおすすめですよ。
求人を探す前に。鍛冶屋の現実を知ろう
鍛冶屋は身近でない仕事なだけに、その働き方がイメージしにくい職業です。いざ働き始めてから後悔しないよう、待遇など実際のところを知っておきましょう。
給与・休日などの待遇は?
鍛冶職人の場合
鍛冶職人の場合、正社員での求人はほぼないのが現状です。 そのため基本的には、鍛冶職人に弟子入りして独立を目指すことになるでしょう。弟子入りして学ぶ場合の待遇は、修行期間中は給与なし、休みも週1日あるかないか というのが一般的です。
修行をしながらアルバイトで生計を立てようと思ったら、早朝から夕方までは見習いとして修行、夕方から夜までアルバイトと、この上なく多忙な毎日を送ることに。
また、独立後も儲けが出るかどうかは自分次第です。独立してすぐは年収100万にも満たないという人もいますし、一方で、芸術品としての価値が認められるようになれば、年収は上がっていきます。 その域に辿り着くまでには、早い人でも10〜15年ほどかかります。成功できるかどうか先の見えない仕事なだけに、並大抵でない根気と強い信念がなければ、続けていくのは難しいでしょう。
鍛冶工の場合
建設現場の鍛冶工の場合、正社員でも日給制をとっているところが多いようです。大体は1万円前後からのスタートですが、経験を積み技術を身に付ければ2万円近くまで昇給することも。 月給制の場合は20万円前後から始まり、中にはMAX50万円という高収入が期待できる会社もありました。企業によっては、これに加えて年2回の賞与が支給される場合も。
休日は日曜日のみの週休一日としているところもあれば、日曜日+平日1日など週休二日のところもあります。職場によってバラつきが見られるものの、概ね休みは少ない傾向にあります。
仕事場の環境は?
特に鍛冶職人の場合、高温の鉄材を扱ったり、重いハンマーを何度も振り落としたりと、常に危険と隣り合わせの仕事です。特に夏場の作業場は灼熱。集中力を保ちにくい環境で、力の要る作業を何度も反復して行わなければならないため、非常に過酷です。失敗すれば大火傷や骨折などの事故につながる可能性もあり、基礎的な体力や集中力に自信のない人には向きません。
女性でもなれる?
鍛冶職人は体力が求められるため、基本的に女性は敬遠されます。 腕力のない女性だとどうしても男性よりもミスが起こりやすく、それが重大な事故につながるからです。
ただ、だからと言って女性は鍛冶職人になれないのかと言うと、そういうわけでもありません。現に、鍛冶職人として活躍している女性もいます。理解のある師匠を見つけ、女性であることがハンディにならないくらいの体力を身につければ、鍛冶職人としてやっていくこともできるでしょう。