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船箪笥

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船箪笥は、その名の通り商船で用いられていた箪笥です。船の上での過酷な環境に耐えられるよう、非常に堅牢なつくりをしているのが特徴です。外側は欅、内側は桐材が用いられている豪華なものが多くありました。金具は透かしの技法が用いられた凝ったものも多く、随所に当時の職人の技術を垣間見ることができます。また、扉も二重扉やけんどん、横開き戸など実に様々な種類があり、船箪笥はまさに、日本人のものづくりの技術が結集された品であるといえます。
当店ラフジュ工房でも、アンティークの船箪笥を多数取り揃えております!当時の職人達の技術の粋を、ぜひ心ゆくまでお楽しみください。

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船箪笥

 

 

 

船箪笥から見る、日本の美

その秀逸な見た目と機能性をして、箪笥の王様と評されるほど圧倒的な存在感を放つ船箪笥。かの柳宗悦をも魅了したとされる小ぶりな箱の中には、先人たちの知恵と類いまれな技の数々が、これでもかと詰め込まれています。今回は、そんな船箪笥のお話。日本人だからこそ分かる、感じることができる船箪笥の魅力を余すところなくお伝えします。既に船箪笥をお持ちの方も、気にはなっているけど買うのはまだ…という方も、どうぞ最後までお付き合いください。

船箪笥とは。いったい何に使う箪笥なの?

船箪笥はその名の通り、船に持ち込むことを想定して作られた箪笥です。読み方は「ふねたんす」ではなく、「ふなたんす」。なぜ船に箪笥を持ち込む必要があったのか?と言うと、それは船箪笥が、船乗りたちの貴重品を守る"金庫"の役割を果たしていたからにほかなりません。
船箪笥が作られるようになったのは江戸時代のことですが、当時は今のように陸路が発達していませんでしたから、物流を担っていたのはもっぱら船でした。船で物質や人を運んでお金を稼ぐ、いわゆる海運業全盛の時代ですね。例えば有名な北前船の場合、春ごろに大阪を出発して各寄港地で商売をしながら蝦夷(今で言う北海道)を目指して北上。そして帰りもまた立ち寄る先々で商売をしつつ、冬ごろにようやく大阪へ到着する…なんて長旅が当たり前でした。日本海の荒波にのまれ難破してしまう船も多く、1年の大半を危険な船の上で過ごす船乗りたちにとって、命の次に大切な貴重品を安心安全に保管しておける場所の確保は急務でした。そこで考えた末、木工職人に作らせたのが船箪笥だったのです。非常に頑丈なつくり、かつ、簡単には中のものを盗むことができない緻密な仕掛けを施された船箪笥は、すぐに船乗りの必需品となりました。



また、船箪笥はそのいかつい見た目に反して水に浮くように作られています。この特性のおかげで、船が難破してしまっても貴重品の入った船箪笥だけは守ることができたんですね。プカプカと海上を漂う船箪笥は、やがて陸地に漂着し、運がよければ誰かが拾ってくれるかもしれません。時間はかかるでしょうが、本来の持ち主のもとに戻ってくることもあったでしょう。船乗りたちの要望に応えるべく、当時の職人の知恵と技術を総動員して作られた船箪笥は、まさに王様と呼ぶにふさわしい存在です。

船箪笥の歴史。船箪笥は北前船のおかげで発展した?

さて。船箪笥が作られるようになったのは江戸時代のことである、と先ほどお話しましたが、ここではもう少し深くその歴史を見ていきましょう。



江戸時代から明治時代にかけて、日本の流通を担っていた海運業。江戸・大阪間では菱垣廻船(ひがきかいせん)や樽廻船(たるかいせん)、日本海側では前述の北前船(きたまえぶね)が大活躍していました。 海運業には運賃を稼ぐ運賃積(うんちんづみ)と、物質を仕入れて売る買積(かいづみ)の2種類があったのですが、儲けが大きかったのは後者。船箪笥自体はどちらの船でも使われていたものの、菱垣廻船・樽廻船は儲けの少ない運賃積。かたや北前船はと言うと、買積を中心に商いを行っていたため船乗りたちの収入も良く、悲しいかなここで生まれた収入の差が、所有する船箪笥のクオリティにも影響を与えました。
また北前船においては、もともとは船頭(今で言う船長の立場)など限られた者しか船箪笥を持てなかったところ、一般の船員でも運賃積のそれに比べればかなり収入が良かったため、立場の上下に関係なく船箪笥を持つことができたのです。 こうした背景により、北前船の寄港地である日本海側の一部地域においては、上質な船箪笥が次々作られるようになりました。太平洋側と日本海側、同時期に船箪笥が存在し実際使われていたはずなのに、現在目にすることができる船箪笥は北前船の航路にあたる佐渡小木(新潟県佐渡市)・酒田(山形県酒田市)・三国(福井県三国市)のものばかりなのは、そういった背景が理由の一つなのかもしれませんね。

ちなみに小話 船箪笥はただの金庫にあらず


北前船の船頭は、船乗りの顔とは別に商社の経営者としての顔も持っていました。船が無事港に到着したら、ほどなくして船問屋との商談が始まります。商談の場に使われたのは、主に船問屋の座敷。船頭たちは、座敷に上がるのにも必ず自分の船箪笥を抱えていったと言われていますが、それは彼らが殊更心配性だったからというわけではなく、船箪笥が富と権力の象徴でもあったから。隅々まで豪華で凝った意匠を施された船箪笥は、単なる貴重品保管庫の枠を超え、持ち主の力を示す一種のステータスでした。「こんなにこだわった船箪笥を持っているということは、潤沢な資金があるに違いない」と取引相手が信用してくれたらしめたもの。そんなわけで、北前船の船頭たちは競うように上質な船箪笥を作らせたのでした。


船箪笥の種類。貴重品用の「懸硯・帳箱」と、服をしまうための「半櫃」

ここまで、船箪笥=金庫であるとお話してきました。しかし、実は金庫タイプの船箪笥以外にもう一つ、用途の異なる船箪笥があるってご存知でしたか?それが、衣類をしまっておくための船箪笥。同じ船箪笥ながら、金庫の役目を持つものは「懸硯(かけすずり)」や「帳箱(ちょうばこ)」と呼ばれた一方、衣類を入れるためのものは「半櫃(はんがい)」と呼ばれ、両者は明確に使い分けられていました。


■懸硯


上部に「提手」と呼ばれる持ち手が付いているのが特徴で、いわゆる手提げ金庫のような縦に細長い形をしています。前面の扉は片開き仕様。船往来手形・船鑑札・積荷に関する送り状・売買仕切といった重要書類や、金銭などを収納していました。

■帳箱


使用の目的は懸硯と同様ですが、帳箱は懸硯よりもひと回りほど大きく、小型の帳場箪笥と言えるぐらいのサイズ感が特徴です。多少のシケでも動じないよう、陸で使われる箪笥に比べ背は低めに作られ、全面を金具で覆うことにより重量を増しています。

■半櫃


船頭の羽織袴などを入れていたとされる半櫃は、船箪笥の中ではもっとも大型の部類に入ります。他の2つに比べて横に長いボディが特徴的で、けんどん式の扉を外すと幅いっぱいの引き出しが顔を出します。船箪笥としては金具の占める割合が少なくさっぱりした見た目ですが、そのおかげで美しい木目を楽しめるメリットも。


難解なパズルのごときからくり。船箪笥の魅力とは

「世界中のどんな工芸品を出されても臆することはない。日本には船箪笥がある。」と、かつて民藝運動の祖・柳宗悦が語ったように、船箪笥は他の木工品とは一線を画す圧倒的なつくりこみを誇ります。個性豊かな装飾で彩られた扉、透かし彫りなど、繊細な職人技で仕上げられた金具、存在感のある錠前。荒波に流されてしまっても浸水しにくいよう、船箪笥の外側は欅材を使って頑丈に作られ、内部には水気に強い桐材が用いられました。



さらに、船箪笥と言えばそこかしこに施された巧妙な「からくり」。船箪笥の名産地である佐渡で作られたものの多くは、二重底や二重引き出しなどを巧みに使うことで、奥に「隠し」のスペースを確保しています。なかには、一見すると引き出しにしか見えない扉や、底板かと思えば蓋だった!なんて仕掛けをいくつも解き、ようやく最後に小さな桐箱が現れる…という複雑すぎるからくりが仕込まれたものも。仕掛けの数が増えれば増えるほど、わずかな誤差も許されないパズルのようなつくりこみは、職人技の結晶です。船箪笥はまさしく、日本の「用の美」が形になったものと言えるでしょう。



後世に残していきたい名品、船箪笥を愛でよう

船箪笥が絶頂期を迎えるのは、江戸時代末期から明治時代。残念なことに、洋式の大型船や鉄道の著しい発達に押され、明治の後期にはその姿を消してしまいます。現在でも、昔ながらの伝統的工法で船箪笥を作っている工房はごくわずか。そんな貴重で価値あるものだからこそ、これぞ!という逸品に巡り合うには時間がかかってしまうかもしれませんが、その分出会えたときの喜びはひとしおのはず。ぜひトレジャーハンター気分で、お気に入りの船箪笥を探してみてくださいね!




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