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アンティーク家具について

家族団らんのはじまり。昭和の食卓の歴史と茶の間家具

あなたの家の「食卓」は、どこでしょうか。
今や何の疑問もない、テーブルと椅子のあるダイニングでの食事。それが定着したのは、それほど前のことではないのは、なんとなく想像できますよね。
私たちが知る食卓といえば、家族が揃って一つのテーブルをみんなで囲んでいるもの。でも実は、昔からそうだったわけではなかったんです。団らんの食卓のはじまりは、現在では無い家も多いであろう「茶の間」。そしてみなさんも見たことのあるあの家具が、茶の間の主役だったんですよ。
そこで今回は、昭和時代の食卓の歴史と、茶の間に腰を据えてきた定番のアンティーク家具のことをお話ししていきます。

昔の食卓は”みんなで一つ”ではなかった

日本の食卓の歴史
冒頭でもお話ししましたが、家族団らんの食卓は、最初からあったものではありませんでした。
武士が圧倒的な権力を持っていた江戸時代は、食事にまで身分の差がありました。銘々膳(めいめいぜん)という角盆に脚が付いたようなものに、その名前の通り一人ずつの食事が置かれたのが日本の食卓だったのです。
食事を囲みながら家族との会話を楽しむ今とは大きくかけ離れており、食事は「家の秩序を示すもの」とされていたのでした。

日本におけるみんなで囲む食卓のはじまり「ちゃぶ台」

アンティークちゃぶ台
やがて明治時代になって制度が変わり、身分の平等化とともに西洋の文化が日本に浸透しはじめます。町には西洋料理店などが開店し、客席ではテーブルを使うようになったことで、庶民の暮らしにおいても “みんなで一つの食卓” をだんだんと受け入れるようになっていきました。
ただ、狭い住まいにおいて実用性は必須。そんな条件下で役に立ったのが、アンティークでも人気のある「ちゃぶ台」でした。今では「折りたたみの座卓=ちゃぶ台」ですが、最初からそうだったわけではなく、この時代の狭い家に住む日本人によって考え出されたものだったそうです。
普及しはじめた当初は都市を中心に、そして地方や農村には昭和初期にかけて広まりました。家族が集う食卓の歴史は、ここがはじまりです。

茶の間の収納家具である「茶箪笥」

アンティーク茶箪笥
“膳” で食事をしていた頃は、茶碗、汁椀、平皿と自分用の器だけで良かったので、食器の収納場所は箱膳(土台が箱状になった膳)でした。ただ、ちゃぶ台を囲む「一家団欒」の浸透により、家族共用の食器が増えたため、もっと大きな “入れ箱” が必要になりました。
そこで置かれるようになっていったのは、茶室で茶道具を並べるためのものだった「茶箪笥」。もともとは魅せることに長けた飾り棚のようなものであり、収納の視点から言えばスペースに無駄が多い構造をしていたのです。
茶の間を寝室としても使うほど狭かった日本の住空間を上手に使うために、茶箪笥においても小さな引き出し、慳貪(けんどん)、高さ違いの戸棚が付けられたりと、実用性を追求したものに変化していきました。
“庶民の食器棚” でいう原点は、この茶箪笥だったのかもしれないですね。

運び・置き台に活躍した「丸盆」

アンティーク木製丸盆
家族だけでなく、お客さんも招く場所になった茶の間は、家の中心であり礼儀作法をきちんと身につける場でもありました。料理やお茶を運んだりするのに活躍してきた木製のお盆は、要は畳の上に置く “器” のようなもの。床に置いて両手で配膳しても失礼が無いようにするのが、本来のきちんとした使い方だと言われています。
ちゃぶ台の暮らしからテーブルと椅子の食卓へ移行していっても、床で足を伸ばしてくつろぐ生活は、やはり日本人にとって馴染み深い存在。寝床の横に水や常備薬をセットしておいたり、時には晩酌のそばで肴やお酒を置く台にしてみたり。運ぶ以外でも、日本人にとっては小さな卓のような扱いだったのかもしれませんね。

最後に

食卓とともに変わっていった茶の間と、暮らしを支えた家具。そんな視点からアンティークを見るのも、面白いかもしれません。昭和と聞くと、なんとなく生活ぶりが素朴だったのは想像できますが、レトロな見た目からは、なかなか想像できないお話もあったでしょう。
瞬く間に生活の様式は変わりましたが、今の時代でも「一家団欒」が、家族を育てていく場所。ぜひお祖母ちゃんの家にある茶の間の家具を見つけたら、お子さんにもお話ししてあげてくださいね。

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